Nankaimaru meets with a disaster

(Photo and on caption by Ichikawa Hiroshi)

●南海丸沈没事故その記録

市川浩先生は、京都大学文学部卒業後毎日新聞社に入社、記者生活をされていました。1958年1月先生が26歳の時、小松島を出航後大荒れの淡路島沖で沈没した南海丸沈没事故を記者として取材されています。一言では言い尽くせないその惨状を目にした先生にとって、その後哲学者を志す契機になった出来事ともお聞きしています。ご遺族からその当時の大変貴重な取材アルバムをお借りできましたのでここに公開いたします。アルバムは2冊にわたり60枚以上自筆キャプション付で構成されています。本コンテンツではその中で20枚ほどを抜粋しました。キャプションはその当時の繊細さと几帳面さがうかがえる先生自筆のものです。写真についても臨場感、緊張感を醸し出す深みのある構図がセンスの良さを物語っています。

※南海丸沈没事故について
1958年(昭和33年)1月26日夜、南海汽船紀阿航路の定期旅客船「南海丸」498トンが小松島を出航後大荒れの淡路島・南東沖で消息を絶ちました。すぐ警察・海上保安庁が捜索を開始した結果2日後の28日、付近の海底で沈没している南海丸を発見、167名の尊い命が犠牲になる大惨事となりました。沈没事故当時の天候は福島県・小浜、静岡県・伊東、下田でも遭難が相次ぎ全国的にも大荒れだったようです。

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