Q1 三島由紀夫事件の翌年である1971年に創立された「錬肉工房」の今日まで足跡をお聞かせいただけますか。35年間「継続こそ力なり」ではないですが大変なエネルギーだと思いますが。
岡本:そうですね、まあ気がついたら35年というところと、同時に劇団員をはじめ、多くの人々との出会いがあって継続、展開出来てきたんだという思いがあります。35年間、その間にさまざまな演劇的な試み、作業を行ってきましたが、振り返ってみて一貫していましたのは、演劇の枠組み、構造そのものを、絶えず根底から捉え直していきたいと考えてきたことでした。具体的には、<言葉>と<身体>の関係を問い、新たな<声>や<身体性>の可能性を模索する作業や、能を中心に前近代の演劇、文化とどう関係を持ち、切り結んでいくのかということ。また、さまざまなジャンルや現代芸術のアーティストたちとの横断的なコラボレーションの活動などに取り組んできました。もちろん途中でしんどい時期も何度かありましたが、しかし、あまり慌てず、焦らずにじっくりと積み重ねてこれたのは、活動の初期から<言葉>と<身体>の関係性を問い直し、また能を現代に開き、生かしていく作業といった大きな課題に出会い、長期的な展望で作業に取り組む必要性があったこととも関係しているかもしれません。
※錬肉工房20周年記念集「水の声」1991年6月発行
市川浩先生も「言霊と身体性−錬肉工房の作業」のタイトルで
2ページにわたり寄稿されています。
Q2 市川先生と最初に出会ったきっかけをお聞かせください。
岡本:私が市川先生と最初に出会ったのは確か1976年だったと思いますが、早稲田小劇場(現SCOT)が富山県の山奥の利賀村に開いた劇場、「利賀山房」での開場公演の折でした。演出家の鈴木忠志さんに紹介されました。当時、私は鈴木さんと親しく、翌年の『宴の夜二』の原作台本を頼まれて書いたりもしていたので、利賀村には良く通いました。市川先生も演劇に興味、関心があり、鈴木さんとも親交があって見えていたと思います。色々な文化人、芸術家の方々が来ていて、にぎやかでした。その時の市川先生の穏やかで優しいまなざしと語り口は非常に印象的に憶えています。先にも言いましたように、私自身、初期から俳優の演技や身体性の問題に関心があり、実践の場で<言葉>と<身体>の関係性を探ってきましたが、同時にそれを根底から対象化する、方法や理論の必要性も痛感していました。身体の領域は深くて面白いところがあるのですが、すぐに惰性化、固定化、形骸化して袋小路に入ってしまう。そんなこともあって、初期の頃から作業を対象化し、揺さぶりをかけるために、哲学、思想
レヴェルの理論や言説に興味を持って自分なりに少しは読んでいて、市川先生の岩波講座『哲学』の論考などにも出会い、大きな手掛かりや刺激を受けていました。何か、その時そんなことを先生に少ししゃべったような記憶があります。
Q3 その後朝日カルチャーセンターで市川浩先生に学んだということですが、いつ頃ですか?先生と再会されたわけですが講義内容をいくつか教えていただけますか?当時の仲間たちはどんな方がいましたか。
岡本:1985年だったと思いますが、先生が朝日カルチャーセンターの新宿教室でベルクソンの主著を読む連続講義をされていて、それに参加しました。その期は『時間と自由』でしたが、『物質と記憶』や『道徳と宗教の二源泉』なども講義され、後にはメルロ=ポンティの『眼と精神』やベイトソンの講義などもあり、続けて受講しました。
実は、前から先生が講義されているのは知っていて気になっていたのですが、やはりバタバタと演劇活動に追われ、実際に出席は出来ませんでした。ちょうどその時期、80年代半ばはバブル前期で、演劇や文化状況が一見活況を呈しているようでしたが、何か表層的で浮ついた感じで空回りしていて、手応えがなく、ズレを感じてしんどい時期でした。
そこでもう一度自分のやってきた作業の根元を見つめ直してみたいと思って、前から関心のあった市川先生の講義に参加したわけです。本当にそうした講義を受けるのが大学生の時以来でしたが、先生の講義は哲学、思想の根本的な課題を、丁寧にわかりやすく具体的に話して下さり、刺激的で色々な示唆や材料をいただきました。また先生の講義には、色んなジャンルや職業、
年齢の人々が参加していて、活気があり、講義の後も毎回先生が気づかって下さり、喫茶店などで先生を中心に自由に語らう時間もあって、それも楽しみでしたね。作曲家の池田哲美さん、書家の原田牧雄さん、精神科医の福原泰平さん、日本現代文学研究の近藤裕子さん、川崎賢子さんなど、他にも多彩なメンバーが出席していました。
Q4 ここに1986年10月と記された写真がありますが、岡本さんはもちろん、先生が非常に生き生きとした良い顔をしています。どこに行かれた時のものですか。
岡本:これは、中央アルプスの駒ケ岳に登った時のものです。先生に誘っていただいて、池田哲美さんなど朝日カルチャーのメンバーで行きました。私もこんな高い山に登ったのは初めてで、印象的に憶えています。清々しい気持ちの良い旅でしたね。先生は自然の中を歩くのがお好きだったようで、他の機会にもよく声をかけていただき、池田さんや原田さんなど気のあったメンバーと東京近郊で小登山やハイキングをしました。
だいたい温泉を巡って汗を流して帰ってきましたね。いつも先生が自然体で開かれていて、こちらも身構えることなく気楽に色んな話ができました。駒ケ岳の時など、小雨が降ってきたので、ポンチョを着て私が降りてくるのを見て、先生が、「岡本さん、烏天狗みたいだね」と楽しそうに、いたずらっぽく冗談を言われ、場が和んだことなど懐かしく思い出されます。
Q5 最近よく思うのですが、時代性もありますが誰もが感じている、我々に向けてくれた先生のあの優しいまなざしはいったいなんだったのだろうと?そして先生の各分野への熱い思い。その手がかりを探ってみたいのですが。
岡本:そうですね、私も市川先生の優しいまなざしと語り口はとても印象深かったですね。勝手な考え方ですけれども、それは、先生の絶妙の距離感覚と関係しているのかと思ったりします。もちろん哲学者でいらしたので徹底して厳密な対象化、分析能力がおありなのは当然ですが、それがまったく冷ややかではなく、温かい手触りと自由さがあった。しかし、だからといって対象に変にのめり込んでしまうのでもない。
先生の言っておられた中心化と脱中心化の運動を自身が自在に生きておられ、身体や感覚を開きながら硬直せず、多様なもの、ひと、ことと応答、交流しておられた。それとともに、これも勝手な見方ですけれど、どこかで先生が、「もともと自分は精神主義者で、極端に精神の側に立っていた」と述べておられたけれど、先生自身が、ある意味で身体や芸術の課題を考え抜くことで、そうした一つの危機を乗り越えていかれた痛みの経験、深い必要性、共感がそこにあったのではないか。
そこから先生のあの優しいまなざし、また多様な領域への熱い関心も生まれてきたのではなかったかと思ったりします。
Q6 錬肉工房の公演もよく来られたそうですね。
岡本:ええ。朝日カルチャーの講義に参加をする以前にも何回か舞台を見ていただいていたと思いますが、85年以降はほとんど見てもらっています。私たち演出家には、この人には是非舞台を見てもらいたいという、何人かの怖い、「目利き」のお客さんがいて、市川先生はそのお一人でした。先生は穏やかな口調でしたが、いつもきちっと舞台の出来、課題について話して下さり、励みになりましたね。
Q7 岡本さんは、ヨガ教室もされていますが、先生もヨガをされましたか。
岡本:私は演劇を始めたのと同じ頃に、ヨガとも出会い、演劇のレッスンに生かすとともに、20数年前から健康法としてのヨガの指導も色んな場所で行ってきました。朝日カルチャーセンターなどでも教えましたが、ヨガは体操だけではなく、呼吸法や心身の集中法など、なかなか優れた身体技法で、深いリラクゼーション効果があり、市川先生も興味を持たれ、私の教室にも2、3年通って来られました。
「岡本さんのヨガは、自分の体との対話を大事にして、無理を強いないのがいい」とおっしゃって、ほとんど休むことなく、毎回楽しんでやっておられましたが、先生の身体論の持つ説得力は、そうした身体への実践的な興味、関心にも裏打ちされていたのだと思います。
Q8 これまで岡本さんが市川先生から影響を受けたものはなんでしょうか。今でも手にとって見る著作を聞かせてください。
岡本:そうですね。影響と言えば、私自身の演劇活動や理論の根底の部分で、市川先生の身体論、哲学に多くを負っています。特に舞台上の演技のあり方などでは、もちろん身心の二元論ではまったく成立しないわけで、日常よりもかなり深いレヴェルで身心の合一、統合が自在に生きられている。その理論的な筋道、多層的な身体のあり方を、例えば『精神としての身体』で明晰に示していただき、また『〈身〉の構造』では、私たちの日常生活での<身>のあり方、関係的存在としての身体の具体的な姿が生き生きと豊かに浮き彫りになっていて、今でもこの二冊は良く手に取り、力をもらっていますね。
それから先生が道をつけられ、さらに展開していかれるはずだった「身体芸術論」の領域も刺激的で、力足らずですが、少しでも私なりに実践を踏まえ、考えさせてもらえればと思っています。
Q9 岡本さんは、柏市にアトリエを持ち、明治学院大学で講義もされています。先生から受信したものを、今教えられている若い俳優や大学の生徒たちに発信、継承されていることはありますか。
岡本:ご承知のように、これまで何度か「身体論」が脚光を浴び、ブームになったことがありました。言うまでもなく、いつも市川先生の理論がその中心、根底にあったのですが、現在、私たちを取り巻くデジタル・メディア、コンピュータ・ネットワーク社会の中で、またもう一度、<身体>のあり方が問われているように思っています。市川先生の講義や書物から受けた深い影響を、現在の社会や文化の状況、課題を踏まえながら、舞台芸術や教育の現場でどう生かし、少しでも展開していくことが出来るのか。これは大きな課題ですけれど、地道に取り組み、工夫しながら積み重ねていく必要があると思っています。
私が大学で担当している「身体表現論概説」という講義では、先生の『〈身〉の構造』をテキストにさせてもらっていて、毎年生徒にとっても大きな手掛かりで、目から鱗のような身体との新しい出会いがあり、実際に恩恵に浴しています。それから、これはなかなか大変で上手くはいかないのですが、市川先生のあの優しいまなざし、自在で温かい手触りを持ったあの印象的なまなざしを、色んな現場で出来るだけ思い出しながら、自分なりに少しでも探っていけることがあればと思っています。